【大阪】
大阪府大阪市北区曽根崎の
露天神社
久しぶりに参拝させていただきました。
【露天神社 御朱印】
【露天神社 御朱印帳】
(大判サイズ)
こちらの境内で
実際にあった心中事件を題材に
近松門左衛門が人形浄瑠璃
「曽根崎心中」を書き
それ以後
そのヒロイン「お初」にちなみ
お初天神と
呼ばれるようになった露天神社
「曽根崎心中」を書き
それ以後
そのヒロイン「お初」にちなみ
お初天神と
呼ばれるようになった露天神社
少彦名大神
大己貴大神
天照皇大神
豊受姫大神
菅原道真公
社伝によると
大阪湾に浮かぶ小島の一つであった
現在の地に
住吉須牟地曽根ノ神をお祀りし
鎮座したのがはじまりで
「難波八十島祭」旧跡の一社。
曽根崎の地名は
この御神名によるとされています。
創建年代は不明ですが
「難波八十島祭」が
文徳天皇の嘉祥3年(850年)
まで遡り
6世紀の欽明天皇の頃には
形が整っていたとされ
起源もその頃と推察。
1097年に描かれた
「浪華の古図」には所在も
記されています。
南北朝期には
漸次拡大し地続きの曽根崎
となり
田畑を拓き農事を始め
鎮守の神とて
曽根崎村が出来ました。
1894年の初代大阪駅
明治38年
阪急電鉄梅田駅の開業
などと共に
地域の発展に拍車がかかり
大阪「キタ」の中心
梅田・曽根崎の総鎮守
として
道真公が筑紫へ左遷配流される途中
福島に船泊まりされた際
東方に伽藍を構える「大融寺」に
船頭茂大夫の案内で
参詣の道すがら
「露と散る涙に袖は朽ちにけり
都のことを思い出ずれば」
と歌を詠ぜられ
この故事にちなんで
露天神社と称する
とも伝えられています。
(※諸説有り)
旧社殿は
昭和20年太平洋戦争で焼失。
現在の社殿は
昭和32年9月に造営竣工したもの。
境内社
【金刀比羅宮】
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