【三重】
『どうする家康』紀行潤礼でも紹介された
敢國神社(あえくにじんじゃ)
令和5年1月より
ステキな【切り絵御朱印】がいただけます
【敢國神社 切り絵御朱印】
※無くなり次第、終了
主祭神である大彦命が
『古事記』や『日本書紀』の崇神天皇の段で
ご活躍されている場面を描いたもの
~『大彦命と童女』~
東国に派遣された大彦命が
和珥坂上に差し掛かった時、童女と会い
その童女が歌を詠み
大彦命は怪しいと思い
童女に問い詰めるものの、ただ歌っただけ
としか答えませんでした。
大彦命は都にとんぼ返りし報告。
天皇の叔母である
倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトビモモソヒメ)は
その歌の怪(しるし)を知って
武埴安彦(タケハニヤスヒコ)と
妻の吾田媛が謀叛を起こそうとする
表(しるし)であると
天皇に報告します。
妻の吾田媛は
密かに倭の香山に来て土を取り
領巾の端に包み
「是は倭国の物實(ものしろ)」と
呪いをかけ
崇神天皇が
将軍たちを集め協議している間に
武埴安彦と吾田媛の兵が
攻めてきました。
【敢國神社 御朱印】
【鳥居】
【拝殿】
【御祭神】
大彦命
少彦名命
金山比咩命
社伝によると
658年に創建された全国屈指の古社。
主祭神の大彦命は
第8代孝元天皇の第一皇子。
「四道将軍」の一人として
北陸・東海を征討する役目を負われ
東方を征したのちに
大彦命の一族は伊賀の国に住まわれ
その子孫は伊賀の国中広がりました。
伊賀地方には
外来民族である秦族が伊賀地方に住んでおり
服部氏の守護神である
少彦名命がお祀りされています。
信長公の伊賀侵攻で社殿が焼失しましたが
藤堂高虎が伊賀に入国した後は
藩主により
上野城の鬼門として崇敬され
社殿の復興などが行われました。
【延命井戸】
南宮山より一旦地中へ入り本殿脇より
湧き出している
延命井戸及び手水舎のお水は
諸病に良いとされ
現在は井戸は塞がれていますが
手水舎のお水を求めて
多くの方々が訪れているそうです。
【桃太郎岩】
南宮山頂から遷された霊岩で
安産と子授けの守護霊石として信仰されています
【むすび社】
【大石社】
【芭蕉句碑】
「手はなかむ音さへ梅の匂ひかな」
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