【宮崎】
宮崎県日南市材木町の
神武天皇妃奉祀
吾平津神社
(あびらつ神社)
神武天皇妃を奉祀する
吾平津神社。
別名「乙姫神社」
明治期までは
乙姫大明神と呼ばれていました。
絵の心得のある宮司さまに
御朱印と共に
リクエストしたところ
乙姫さまの御神使
鶏と猿を
描いて下さいました![ラブラブ]()

【吾平津神社 御朱印】
こちらの御朱印は
レターパック持参の上
後日
送っていただきました。
宮司さまは
常駐されていませんので
御朱印希望の方は
事前確認の上
お詣りに行ってくださいね![ウインク]()

【鳥居】
吾平津毘売命
天照皇大神
武甕槌命
倉稲魂命
天児屋根命
木花咲耶姫命
経津主命
社伝によると
創建は709年でかつては
乙姫大明神と称し
江戸時代には
歴代飫肥藩主の尊崇を
受けていた古社。
神社前の堀川運河に架かる
石橋、堀川橋は
吾平津神社への参道。
主祭神 吾平津昆売命は
宮崎神宮の御祭神
神武天皇が狭野尊と称され
日向に在られた頃の妃。
【吾平津毘売命の像】
吾平津毘売命は
吾田の小椅の君の娘として生まれ
15歳で皇子となった
神武天皇と結婚し
皇子手研耳命にも恵まれ
幸せな暮らしを送っていました。
神武天皇が
皇子や郡臣と共に日向を立ち
大和朝廷を起こす為
東遷された時
吾平津媛は同行せず
この油津の地より
御東遷の成功と道中の安全を
お祈りされました。
乙姫さまは
諸祈願成就の神として
崇められ
地元の人からは乙姫さんと
呼ばれているそうです。
【門守社 猿像】
1992年、堀川橋を舞台に
「男はつらいよ寅次郎の青春」
が撮影されました
油津は、古くは「吾平津」と呼ばれ
のちに「油」となまった
という説があり
吾平山上陵は油津山上では
とも云われています。
1863年、飫肥藩がここに
砲台を築こうとすると
ほこらがあったのではと思われる
大石で囲んだ
2ヵ所の廓室から
銅、鏡、玉、太刀などが発掘され
藩庁が立ち入りを
禁止した事もあったそうです。

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