【愛媛】
松山市道後公園にある
国史跡
日本100名城
湯築城
別名 湯月城
新たに
令和元年11月より
ステキな【御城印】が
いただけるようになりました
【湯築城 御城印】
湯築城資料館でいただけます
【湯築城資料館】
開館時間 9時から17時
入館無料
定休日 月曜日
【城郭構造】梯郭式平山城
【築城主】 河野氏
【築城年】 1335年頃
湯築城は
伊予国の守護であった河野氏が
約250年間にわたり
居城としていました。
河野氏は
風早郡河野郷(松山市北条地区)を
本拠として
勢力を伸ばした一族。
源平合戦では
河野通信が源氏方として
功績を挙げ
鎌倉幕府の有力御家人
となり
伊予国の統率権を得ました。
承久の乱で没落するものの
通信のひ孫・通有が活躍し
一族の力が復活した
南北朝期の通盛の時
(1335年前後)に
河野郷から
この湯築城へ本拠を移しました。
その後
有力守護・細川氏の介入や
一族間の内紛がありましたが
足利将軍家と結びつき
近隣の大内・大友
毛利氏などと
同盟や縁威関係を持ちつつ
伊予の守護としての
地位を確立し
通直は
湯築城の外堀を築き
1535年頃
娘婿の村上海賊衆との
関係を強化しましたが
後に離反し
徐々に衰えていきました。
最後の当主である通直は
秀吉の四国攻めにより
小早川隆景に
湯築城を明け渡し
平安時代末期から戦国期
までの
400年の長きにわたる
河野氏の伊予支配に
終が打たれました。
※ 鎌倉時代に時宗を興した
一遍上人は
河野通信の孫にあたります。
1602年
勝山に松山城の築城が開始され
以降、加藤氏が
伊予国松山藩主となります。
建築にあたっては
湯築城の瓦等の
建材が流用された事が
発掘調査で判明しています。
1888年
県立道後公園として整備。
2002年 国の史跡に指定。
2006年 日本100名城(80番)
となりました。
【外堀土塀】
【外堀】
【土壌展示室】



積極的に巡っていませんが
御城印がいただける場所も
かなり増えてきて
現在 約180城の
御城印がいただけます
御城印は
お城専用の御朱印帳で
纏めています
また纏めていない場所も
多々ありますが
今までまとめた
【御城印】
群馬
神奈川
静岡
愛知
三重
長野
岐阜
滋賀
大阪
オリジナル御朱印帳も出来ました
京都
愛媛
香川
また近いうちに
別途
纏めたいと思っています
【関連記事】
御朱印帳まとめ
四国編
(松山市)
日本三大八幡造